東京高等裁判所 昭和56年(行ケ)120号 判決
一 請求の原因一ないし三の事実は当事者間に争いがない。
二 そこで、審決取消事由について検討する。
1 取消事由(1)について
審決は、本願発明におけるメモリ・マージンの改善とは放電開始電圧Vfと放電維持最低電圧Vsの変動を減小させてメモリ・マージンの変動を減少させるようにすることと認定した根拠として特許異議答弁書中の記載を挙げている。成立に争いのない甲第九号証によれば、右特許異議答弁書中には、その冒頭に、「本願発明の要旨を明らかにすべく、まず、駆動電圧の一様化及びメモリ・マージンの増大ということについて説明し」との記載があり、また、「本願発明において、ガス圧はパツシエン曲線の鞍部に設定されており、このことにより、(イ)メモリ・マージンが増大し、(ロ)駆動電圧を一様にすることができる。」との記載があることが認められる。これらの記載によれば、右特許異議答弁書においては、本願発明の目的がメモリ・マージンの増大と駆動電圧の一様化にあることとして、説明をしていることが明らかである。このことを前提として、審決引用箇所を含む右特許異議答弁書の「パツシエン曲線から明らかなように、ガス圧が大きければ駆動電圧と維持電圧の差も大きくなる。すなわち、ガス圧が増せば、メモリ・マージンも増すこととなる。しかし、本願発明は、ガス圧をパツシエン曲線の鞍部の四~八cm―Torrの値とし、ガス組成をネオンとアルゴン、クリプトン、キセノンの内の少なくとも一つとの混合ガスとするのであり、このことについては甲第一号証には何等示していない。」との記載及び成立に争いのない甲第三号証をみれば、右記載の前段は、右記載でいう甲第一号証(これが第一引用例を指すことは弁論の全趣旨から明らかである。)に代表される従来公知の事実について述べ、「しかし」以下の後段は、これと対比して、本願発明においてはメモリ・マージンの増大と駆動電圧の一様化という目的がガス圧をパツシエン曲線の鞍部領域の四~八cm―Torrという低圧部分に定め、ガス組成を特定することによつて達成されたものであるが、このことは高圧部分でメモリ・マージンが増大することを示す第一引用例には開示されていないことを述べる趣旨であつたと認められる。してみれば、右特許異議答弁書の記載からは、本願発明でいうメモリ・マージンの改善を審決が述べるように理解することはできないといわなければならない。
ところで、前掲甲第三号証、成立に争いのない甲第二号証の一・二、甲第六号証によれば、本願明細書中にはメモリ・マージン(記憶限界)の改善の意味を明示的に示した記載はないが、本願明細書の発明の詳細な説明の内容が多くの部分にわたつて本願と出願人が同じである第一引用例と同内容である米国特許第三四九九一六七号明細書(この点は当事者間に争いがない。)に依拠して記載されていること、第一引用例においてはメモリ・マージンの増大をメモリ・マージンの改善とみていることが認められる。そして、前掲各証拠によれば、本願発明の対象とする気体放電表示記憶パネルにおいて、臨界電圧の均一化とメモリ・マージンの増大は、この種装置の性能向上のためにそれぞれ重大な意味を持つことが認められるのに対し、メモリ・マージンの変動を減少させること自体がそのような意味を持つことを認めるに足りる証拠はない。これらの事実によれば、本願明細書におけるメモリ・マージンの改善の意味を第一引用例における意味と別異に解すべき特段の理由はないといわなければならない。
そうすると、本願明細書中メモリ・マージンの改善に関する記載として被告が引用する部分の「記憶限界と電圧の均一性を最適化する」、「記憶限界と電圧の均一性は、……著しく改善および改良される」との記載は、「記憶限界と電圧」の均一性と読むべきではなくして、「記憶限界」と「電圧の均一性」と読むべきものといわなければならない。
被告は、本願明細書の図面からパツシエン曲線の鞍部領域において電圧の変動が小さいということすなわち電圧の均一性が得られることは読取れるから、電圧の関数である記憶限界の均一性も必然的に得られると理解でき、本願明細書上他にメモリ・マージンの改善の意味を知ることができない以上、右の記載からメモリ・マージンの改善の意味をメモリ・マージンの変動を減少させることと解釈することは自然である旨主張する。しかし、このように解すると、メモリ・マージンの改善は電圧の均一化に付従する結果にすぎないこととなり、特許請求の範囲に「以つてメモリ・マージンを改善するようにしたことを特徴とする」と特記されていることにそぐわないことになる。また、前叙のとおりメモリ・マージンの改善をメモリ・マージンの増大と理解する余地は十分にあるといわなければならないから、被告の右主張は採用することができない。
したがつて、本願発明にいうメモリ・マージンの改善の意味を審決認定のようにメモリ・マージンの変動を減少させるようにすることと直ちにいうことはできない。審決の認定は十分な根拠を持つとは認められない。
そして、本願発明におけるメモリ・マージンの改善の意味をメモリ・マージンの増大と理解するならば、被告も認めているように第二引用例にはメモリ・マージンの増大について何ら触れるところがないのであるから、本願発明が第二引用例と「実質的に同じ課題を解決しようとしているもの」と認めた審決の判断は早計にすぎ、直ちに首肯することができない。
2 取消事由(2)について
審決は相違点(2)につき、本願発明のガス組成により「本願のパネルが格別の作用効果を奏するとの根拠も本願明細書中に明確には記載されていない」と述べるが、前叙のように解すれば、本願発明がメモリ・マージンの増大と臨界電圧の均一化という効果を奏するものであることは本願明細書に記載されているといわなければならず、成立に争いのない甲第一〇号証の一・二、第一一号証の一、第一二号証によれば、本願発明の実施例と認められるいくつかの例において右効果が達成されていることは認められるのであるから、右審決の認定は正当と認め難いことになる。したがつて、右認定を前提とする本願発明のガス組成の限定は単なる設計事項にすぎないとの審決の判断も正当とは認め難い。
3 以上のとおりであり、右審決の認定判断の誤りはその結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、取消事由(3)について判断するまでもなく、審決は違法として取消を免れない。
三 よつて、原告の本訴請求を認容することとする。
〔編註〕 本件における特許請求の範囲は左のとおりである。
厚さ〇・二五四mm(一〇ミル)以下の薄いガス室を形成すべく並行離隔して保持された一対の支持板と、前記ガス室に圧力下で充填されたガスと、前記各支持板の対向面上にそれぞれ配置された導体配列と、前記ガス室内で前記導体列上に厚さ〇・〇二五四~〇・〇五〇八mm(一~二ミル)で形成された誘電体被覆とを具備し、前記導体配列が離隔した複数の線形導体によつて構成されるとともに横方向に配位されてたがいに隣り合う複数の個別の放電部位をその間にオープンな光子連絡が可能なように画成して成る気体放電表示記憶パネルにおいて、前記誘電体被覆の誘電率は一六前後であり、前記ガスは九九・五~九九・九九%原子のネオンと〇・五~〇・〇一%原子のアルゴン、クリプトン及びキセノンの内の少くとも一つとの混合組成であり、且つ前記ガス室内のガス圧を、ガス媒体のパツシエン曲線の鞍部領域(B領域)に調整するとともに前記に特定されたガスのパツシエン曲線のPD値にして四~八cm―Torr範囲内に規定し、以つてメモリ・マージンを改善するようにしたことを特徴とするガス放電パネル。